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 ◆ 「全米チャートの基礎知識」 (1) (「New Hikki's World BBS」:さとピーさん記) ◆

これは、04年8月24日〜27日に、宇多田ヒカルのファンサイト「New Hikki’s World」の掲示板に掲載された文章です。
ただし、今の時点で間違っていたり、新たに情報が分かったりという部分は、書き換えてあります。
また、「ビルボード」の最近の変化に対しても、説明を加えてあります。時間軸を多少混乱する人がいるかもしれませんが、ご了承下さい。
                                                                            (05年2月16日)

(1) 「ビルボード」と「HOT100」の歴史


これからヒカルが「ビルボード」などにランクインされる機会が多くなると、全米チャートの基礎知識のない人たちが、某巨大掲示板などに匿名をいいことに、無知で勝手なカキコを堂々と書き込んでしまって、普通の邦楽ファンを混乱に陥れてしまう可能性も高い。そこで「全米チャート」とは何かをやさしく(笑)解説するので、是非チャートを語る場合のスタンダードにして頂きたいと思っています。


ポイントは、日本の「オリコン」のチャートと、向こうのチャートの集計方法がどう違うのか。同じチャートでも、音楽状況が同じなのか、それとも全く違うのか。又は昔、全米チャートが好きでよく見ていたけど、今の「ビルボ」のチャートは、その頃と同じなのか、全然違うのか。アメリカの音楽状況は、変わってしまったのか、同じなのか。まずはその辺を、じっくり説明しましょう。


「オリコン」は昭和42年11月に創刊されましたが、そのモデルは米国の音楽業界誌「ビルボード」(以後「ビルボ」に省略)でした。レコード産業における市場調査や分析を目的にスタートしましたが、最初から「売りの目玉」はレコード売り上げのチャート作成です。それまでの日本のチャートは、各ラジオ放送局独自のヒットパレードやリクエスト番組しか目安がなく、レコードの売り上げ枚数は、各レコード会社が発表する出荷枚数しか当てに出来ませんでした。又この出荷枚数というのも当時は、プロモーションの一環として発表されるだけで、チェック機能もなく、相当の水増しが為されていたと言われています。


「ビルボ」が全米にレコード協力店を作り、その店の売上げ枚数から、独自のポイント制を採用してチャート作成を行っていたわけですが、「オリコン」は協力店の売り上げ枚数に独自の統計学的係数をかけて、「推定売上げ枚数」を出して順位を付けました。これは日本独特で、「ビルボ」は参考にしたけれど、「ビルボ」のままではなかったのですね。というのも、日本のラジオ文化が独特であった為、ラジオチャートをポイントに組み入れると、かなり恣意的なチャートになって信頼性が損なわれるからでしょうね。でも、このセールスチャート1本方式が、それまでのチャートでは信じられなかった初登場1位の曲を大量生産するわけですが(笑)。


なお不正を防止する為、協力レコード店の数字を全て使わず、アットランダムに選んだ店の数字を元に推定枚数を出し、ポイント化するというのは「ビルボ」の真似です。でも「ビルボ」のチャート作成は、実は謎が多いのです(笑)。なぜなら、ポイントの作成方法を昔は全く公表してなかったから。


「ビルボ」は1894年11月に創刊されましたが、音楽チャートが掲載されたのは1940年7月。そして55年11月12日より「TOP100」が制作されました。これは今日の「総合チャート」の前身ですね。チャートファンの間では、ここから「RockEra(ロックの時代)」が始まったとされ、現代の全米チャートの始まりとして、記憶されています。すなわち、それ以前が「紀元前」、その後が「紀元後」にあたるというわけです。更に58年8月に今も使っている「HOT100」に改名し、それまでの単なる協力店の売上高でのチャートから放送プレイ回数や、ジュークボックスでの売り上げ回数まで含まれる総合チャートに変貌した、と言われています。


ぼくがよく眺めていた60年代は各州毎のチャートが載っていて、全米1位といっても全部の州で1位というわけでもなく、せいぜい10州程度での1位はざらでしたね。アメリカは広いという事を実感したものです。ライバル誌には「キャッシュボックス」があり、日本の放送局はこちらを使っている局も多かったのですが(文化放送の「9500万人のポピュラーリクエスト」がその代表)、その名の通り現金でレコードや曲がいくら買われたのかをチャート化し、「ビルボ」よりず〜っと後までジュークボックスの売り上げが総合チャートの中に残ってました。この本は96年11月に廃刊になってしまいましたが、その理由は後から述べます。


さて、全米チャート(HOT100)の作成方法についてですが、シングルレコードの売り上げと放送回数などの比率は3:1とか4:1と言われてました。なぜ放送回数が入ったのかというと、アメリカは昔からラジオ王国で、最新ヒットはラジオで聞くのが当たり前でしたし、長期間シングルが売れるのは難しく(いくら中間層が分厚いアメリカでも、当時シングルレコードをしょっちゅう買える家庭は、自ずと限度があった)、ラジオで聞く人のほうが圧倒的に多かったからでしょうね。


58年から続いてきたチャート作成方法は、多分少しずつマイナーチェンジはしていたのでしょうが、91年12月より大幅に変更されます。レコードやCDの売り上げと、放送回数の割合が6:4になったのです。変更点が明確にされたのは、初めての事でした。なぜ、そうなったのか。実は86年ぐらいから、プロモシングルでのエアープレイのみで、シングルを発売しないアーティストが増えてきたのです。その曲を欲しい人にはアルバムを買ってもらうという作戦なんですね。特にロック系に多く、逆に言えば、シングルチャートにはロック系の音楽はチャートイン出来なくなってきました。


これで、チャートにどんな変化が起きたのか。ラジオで毎日のようにかかって、みんなよく知ってるし聞いているのに、「ビルボ」のチャートには載らず、流行ってない事になっているという不思議な出来事が多くなりました。この頃から、メインストリームのラジオ局チャートを集計した「ラジオ&レコーズ」(以後「ラジレコ」に省略。「ベストヒットUSA」の放送でお馴染みですね)のチャートとの差が大きくなってきましたね。80年代の前半は、「ビルボ」「ラジレコ」では、TOP20内の曲で言うと、1〜2曲違うのはあっても大体同じ印象だったのに、大きくズレ始めてきたんですよね。90年代は、どっちを信用すればいいの?って迷ったもんです(笑)。


シングルが売れなくなってきた象徴的な事件も起きます。その一つが89年にRIAA(全米レコード協会)公認の「ゴールド」「プラチナ」の規定が変更されたことです。それまで「ゴールドディスク」は100万枚だったのが、50万枚。200万枚が「プラチナ・ディスク」だったのに、100万枚と半減します。その流れの中で、91年の総合チャートの作成方法の変更の時は、「ビルボ」は市場の現状と合わなくなってきた事を自ら認めるコメントも出しています。さて、CDとオンエアー回数の割合を変えたのにも拘わらず、「ビルボ」の総合チャートの迷走は続きます。それまでには信じられないような有りえない記録が続々と誕生するのです。


例えばその代表が、連続1位記録。60年代〜80年代までは、10週連続1位を記録したのは、77年の「YouLightUpMyLife」(デビー・ブーン)と81年の「Physical」(オリビア・ニュートン・ジョン)の2曲だけでした。ところが、90年代になると、95年の16週1位、「OneSweetDay」(マライア・キャリー&ボーイズUメン)、14週1位が92年の「IWillAlwaysLoveYou」(ホイットニー・ヒューストン)、94年の「I'llMakeLoveToYou」(ボーイズUメン)、96年の「MacarenaBoysideBoysMix」(ロス・デル・リオ)、97年の「CandleInTheWind」(エルトン・ジョン)の4曲、13週1位が92年の「EndOfTheRoad」(ボーイズUメン)と98年の「TheBoysIsMine」(ブランディ&モニカ)の2曲。11週1位が「ISwear」(オール4ワン)、96年の「Un−BreakMyHeart」(トニ・ブラクストン)、97年の「I’llBeMissingYou」(パフ・ダディ&フェイス・エヴァンス)と3曲。まさにバーゲンセール状態(笑)です。


これで分かるように、同じ曲が延々とランクインし、チャートが全く動かない状態が続くようになると、さすがに偏り過ぎでオカシイのではないかという声が上がってきました。完全に、シングルチャートの崩壊が起き始めていたんですね。その為、ライバル誌の「キャッシュボックス」も色々と改革を断行しましたが、やればやるほど現況から乖離していって、ついに業界からの信用も無くし、廃刊せざるを得ない状況に追い込まれてしまったわけです。そこで、「ビルボ」は98年の12月に、起死回生を図ってまたまた大改革を行います。CDの売り上げと、オンエアー回数の割合を1:3に変更したのです。


又、オンエアー回数のポイントに各フォーマットの順位をも加味し、新しいチャートをアピールしたわけです。それまではメインストリームの局のポイントしか認めなかったのに、R&B、カントリー、ロック、アダルトコンテンポラリーなど、色んなジャンルのチャートを加えて、総合チャートの色合いを強めました。更にそれまでは認めなかった、シングルを出さないエアープレイのみの楽曲もチャートインさせる事にしました。この恩恵でエアープレイのみで一番最初に1位になった曲は、2000年6月のアリーヤの「TryAgain」(ただし後に12インチシングルが発売されています)。更には01年3月のシャギーの「Angel」とか、01年6月のアギレラ他の「LadyMarmalade」とか、色々出ています。


チャートの変更がどれほどのものか、99年12月5日付の新チャートを見てみると、1位が変更前の48位からジャンプアップした、R・ケリー&セリーヌ・ディオンの「I’mYourAngel」。これだけ見ても、旧チャートといかにかけ離れていたかが分かりますね。オンエアーのみでTOP20にランクされたのも6曲あります。後はカントリーが必ず3〜4曲「TOP40」内に入るようになったりしています。


ところで、シングルが売れてないと何度も書いているけど、実際どれだけ売れてないかを数字で見てみましょう。国際レコード産業連盟調べのシングルの売り上げで、資料が比較できる2002年では、日本は7710万枚なのに、アメリカでは840万枚に過ぎません。アメリカレコード協会の統計では98年が8780万枚だったそうだから、4年間で9割強の減少率です。米国では、シングルの売り上げの数字はもはや意味を成さないという事が、よく分かると思います。

全米チャートの基礎知識 (2) 「HOT 100の現状」へ続く