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MTV NEWS : YOU HEAR IT FIRST 
投稿者:i_ 投稿日:08/07(日) 22:44
MTV.comの「MTV NEWS : YOU HEAR IT FIRST」に、ちゃんと「UtaDAの回」の文字記事がありますので、
その翻訳です。インタビュー映像の内容も一部含まれています。

文:アリッサ・ラッシュバウム

古臭い決まり文句に「アメリカのアーティストが”日本でだけビッグ”になるのなんてカンタンさ」というのが,ある.では,「逆もまた真なり」とは言えるだろうか? 今,ある魅力的な若き日本のポップスターがアメリカのミュージック・シーンに入り込もうとしているのだ.

 ダンス・ポップ・シンガー「ウタダ・ヒカル」(これからはUtaDAと名乗るそうだが)は2300万枚以上のアルバムを日本で売り上げ,その成功を,10月5日(火)発売になるアルバム「エキソドス」をリリースすることによってアメリカに持ち込もうとしている.

 21歳のUtaDAは,アルバムの洗練されたポップサウンドがアメリカのリスナーにアピールするであろうことに自信を持っている。ティンバランドが3曲でプロデュースしてるという事実を付言する必要もなく。だが,このシンガーは,自分のルックスが米国でのポップスター街道を驀進するチャンスの妨げになるかもしれないことに関心があるらしい.

「みんな”ねぇ,アメリカで成功できると思ってる?”って訊いてくるんだよね…」とUtaDAは言う.「私が心配すべきなのは、音楽のことじゃないと思う。... もう見るからにワタシの見た目って全然違うわけで,確かに,完全にアジアの血のみの(アメリカで有名なシンガーの)人たちって今現在は居ないんだよね.」

 「エキソドス」は実に広い領域からの影響を見せている.速いテンポのキラキラしたポップ・ビートやアジアン・ポップス.UtaDAが言うには,これらはレッド・ツェッペリンLED ZEPPELIN),ザ・ビートルズTHE BEATLES),ナイン・インチ・ネイルズNINE INCH NAILS),ドクター・ドレーDr.DRE),エルヴィス・プレスリーElvis Presley),(元)プリンス(ex-)Prince),といったアーティストたちを聴いてきた結果だという.UtaDAの歌声は――それは盛んに乱高下を繰り返すのだが――トーリ・エイモスTori Amos)のような意図的に伸ばし続ける音と,マドンナMadonna)を思わせる深いトーンを合わせたかのようでもあり,そこに更にビョークBjork)の甘く,遊び心に満ちた抑揚が加わるのだ.

 UtaDAの音楽は,歌詩もまた両極端だ."イージー・ブリージー(Easy Breezy)"に出てくる"You're easy breezy and I'm Japanese-y"(『あなたはイージー・ブリージーで私はお手軽なジャパニーズ』(対訳:新谷洋子))のようなシンプルなポップスらしいものが一方にあるかと思えば,"Exodus'04"に出てくる"Daddy don't be mad that I'm leaving/ Please let me worry about me/ Mama don't you worry about me/ This is my story."(『ダディー,私が出て行くからといって怒らないで 自分の面倒は自分で見させて ママ,私の心配はしないで これは私の物語なのだから』(対訳:新谷洋子))のような内省的なものも一方にある.


 UtaDAの生い立ちもまた、その音楽同様変化に富んでいる.生まれはニューヨーク市だが,東京と同市の両方で成長していった.UtaDAは音楽一家に育ったのだ.彼の父親はミュージシャン/プロデューサーで,彼の母親は演歌を歌っている.二人の仕事を眺めながらも,UtaDAは最初,音楽業界に何の興味もなかった.

 「私はそんな正真正銘頭のイカれたミュージシャン二人を見ながら育ったの.で,考えたんだ,“神様! なんて彼らはクレイジーなの!?”」彼女は言う.「コイツらは車まで売ってスタジオを使う為のお金を作ってる! もう心配しっぱなしだったわ,“収入が果てしなく不安定なんじゃ?”って.それが小学校一年生の頃.

 それでも,UtaDAは,12歳になる頃には彼女のデビューアルバムのレコーディングを始めている.その英語詩アルバムは完成したものの,(全米で)リリースされることはなかった.しかしながら,その作品は日本のレコード会社の重役の目にとまり,彼がUtaDAに日本語詩でのアルバムをレコーディングして欲しい,と依頼をしたのだった.当時高校生だったこのシンガーによると,そのアルバムは結果として「とんでもないくらい狂ったように売れまくってた」.

 「宣伝,プロモーションは(そんなに)してなかったんだけどね,」彼女は続ける.「もうどんどん訳のワカラン噂が付け加わってっちゃって,最後には“あぁ,彼女は一体何者なんだ? 実にミステリアスだ!”と.(笑)」

 そんなミステリアスなムードが、「First Love」アルバムを900万枚売ってしまう結果に一役買ったのだった.更に彼女はそのまま,二つのマルチプラチナアルバムを2001年に出している.結局,彼女はアジアで最も成功したミュージシャンのうちの一人となった.

 彼女の成功の噂がアメリカにまで届くのに,そう長い時間は掛からなかった.かくしてUtaDAは,英語詩アルバムを作りたいという多くのレーベルのアプローチを受けた。その中にアイランド・デフジャムは含まれていた.このレーベルの前のCEO(最高経営責任者)であるリオ・コーエンが,このシンガーが英語に馴染むかどうかを見極めるために,彼女に(映画の)サウンドトラック用の楽曲を録音するように依頼したのだった.

 UtaDAは”ブロウ・マイ・ホィッスル(Blow My Whistle)”を映画「ラッシュ・アワー2」サウンド・トラックの為に録音する.(同曲には,(ネプチューンズ(Neptunes)のファレル・ウィリアムズ(Pharrell Williams)と,ラッパーのフォクシー・ブラウン(Foxy Brown)が参加している) 彼女が言うには,この曲の存在が,アイランド・デフジャム・レーベルが彼女のサウンドと創造的ビジョンによくフィットするのだと感じさせることになったそうだ.

 「エキソドス」からの最初のシングルのリミックス,“デヴィル・インサイド(リミックス)”はビルボード・ダンス・シングルス・チャートで初登場8位だった.この曲の歌詩は,今の彼女の位置付けを描いているかのようだ.日本では飛び抜けた成功の山頂にまで上りつめてしまった一方,アメリカではまだ,戦いの高原に登ろうとしている途中でしかないのだ.

 "You don't know, 'cause you're too busy reading labels,"(『ラベルを読むのに忙しくてあなたは知らない』(対訳:新谷洋子)と彼女は歌う."You're missing all the action underneath my table/ They don't know how I burn/ Just waiting for my turn."(『その裏の展開を見逃している 私が燃えることを人は知らない 自分を出番を待っているの』(対訳:新谷洋子))